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廃坑を離れて、しばらく森の中を歩いたところで、キーヴァルが口を開いた。
「どうだった?」
トーラが大きく息を吐いた。
「……あれは無理だ」
いつもの彼らしくない答えに、アーヴェルも小さく頷く。
「僕も。あんなに離れてたのに、身体が動かなくなった」
あの巨体。
身体の芯まで震わせるような威圧感。
思い出しただけで、アーヴェルは今さらながら身震いした。
「それでいい」
キーヴァルが言った。
「今日覚えておいてほしかったのは、それだ」
「怖がること?」
アーヴェルが尋ねる。
「ああ。自分じゃどうにもならない相手を知ることだ」
キーヴァルは歩きながら続けた。
「剣を持ってるからって、何とでも戦えるわけじゃない。勝てない相手に出会ったら、戦わない。逃げられるなら逃げる。それが一番だ」
トーラが隣を歩くキーヴァルを見上げた。
「キーヴァルさんは怖くなかったの?」
「いつも怖いさ」
意外な答えに、アーヴェルとトーラは揃ってキーヴァルを見る。
あれほど恐ろしいアウルベアを前にしても、キーヴァルは取り乱すことなく相手の様子を見極めていた。
そんな父の口から出た言葉が、アーヴェルには少し意外だった。
「怖いから、相手を見るんだ。何をしようとしてるのか、どこまで近づけば危ないのか。そういうことを考えなくなるほうが怖い」
「……なるほどなあ」
トーラは分かったような、分かっていないような顔で頷いた。
しばらく歩いていると、ふと思い出したように口を開く。
「そういえばさ。前に親父から聞いたことあるんだけど、アウルベアの子供って、高く売れるから盗賊や冒険者に狙われるんだって」
「ああ」
キーヴァルが頷く。
「じゃあ、あいつも子供を守ってたってことだよな?」
「そうだろうな」
アーヴェルは、アウルベアの身体の陰からこちらを覗いていた幼体の姿を思い出した。
「それで、あんなに怒ってたのかな」
「少なくとも、俺たちを追ってくる気はなかった」
キーヴァルが答える。
「俺が離れたら、向こうも坑口から出てこなかった。俺たちを追い払おうとしていたのも、子供を守るためだったんだろう」
「でも、なんでこんなところまで来たんだ?」
トーラが尋ねる。
「それは分からない」
キーヴァルは首を振った。
「アウルベアは賢い魔物だ。人間が自分たちの子供を狙うことも知ってる。子連れで人里の近くまで来るなんて、普通なら考えにくい」
「誰かから逃げてきたとか?」
「かもしれない。けど、今のところは何とも言えないな」
キーヴァルの答えに、トーラもそれ以上は追及しなかった。
恐ろしい魔物だと思っていたアウルベアも、自分たちと同じように子供を守っている。
坑口に立ち、幼体を背後へ隠していたあの姿が、アーヴェルの頭から離れなかった。
強くて恐ろしい。
けれど、だからといって理由もなく襲ってくるわけではない。
アーヴェルはそんなことを考えながら、キーヴァルとトーラとともに、フィンリッジ村へ続く道を歩いていった。
◇
フィンリッジ村へ戻る頃には、陽はすでに傾き始めていた。
西から差し込む柔らかな光が村の屋根を照らし、畑では一日の仕事を終えようとする村人たちの姿が見える。
三人はそのまま村の門を抜け、自警団の詰所へ向かった。
中へ入ると、バークスが待っていた。
「戻ったか」
「ああ」
「どうだった?」
「いたよ。聞いてた通り、アウルベアだ。しかも上位個体の、な。」
バークスの表情が引き締まった。
「喋ったのか?」
「ああ、近づくなと警告されたよ」
短い返事に、バークスが眉を寄せる。
「で、倒したのか?」
「いや。だが心配ない」
キーヴァルは落ち着いた口調で答えた。
「子連れだった。あそこにいたのも子供を守るためだろう。こっちから刺激しなければ、向こうから襲ってくることはないさ」
「子連れか……」
バークスは腕を組み、しばらく考え込んだ。
「……まあ、お前がそう判断したなら大丈夫なんだろう」
そう言ってから、もう一度考えるように顎へ手をやる。
「あの先は行き止まりだ。あの辺までは山菜を採りに行くくらいで、その先まで入る奴はほとんどいない」
「じゃあ、放っておくの?」
アーヴェルが尋ねた。
「いや。念のためリューベンには話しておく。しばらくあの辺には近づかないよう、村の連中にも伝えておいたほうがいいだろうな」
「討伐は?」
今度はトーラが尋ねる。
「しない」
バークスはあっさりと答えた。
「こっちから手を出さなきゃ襲ってこないってんなら、わざわざ刺激する必要もない。それに、アウルベアが居ついてくれるなら、悪いことばかりでもない」
「なんで?」
トーラが首を傾げた。
アーヴェルも同じようにバークスを見る。
「あいつらは雑食で、木の実や草も食うが、フラッファーやワイルドボアみたいなモンスターも獲物にする」
「ボアも食べるの?」
「ああ」
バークスが頷く。
「アウルベアがフラッファーを狩ってくれるなら、トーラの手伝いをしなくて済むね」
「お、おい……アーヴェル」
トーラは何とも言えない表情をしていた。
「畑を荒らすフラッファーが減るなら、こっちとしても助かる。村に危害を加えない限り、わざわざ討伐する理由はないさ」
話がまとまったかに思えたそのとき、バークスがふと首を傾げた。
「しかし……子連れのアウルベアが、なんでこんなところまで来たんだ?」
「さあな。それは俺にも分からない」
「そうか……まあ、しばらく様子を見るか」
バークスはそれ以上追及せず、腕を組んだまま小さく息を吐いた。
そのとき、ぐぅ、と間の抜けた音が響いた。
アーヴェルとキーヴァルが顔を向けると、トーラが腹を押さえている。
「……腹減った」
「お前は緊張感がないな」
バークスが呆れたように言う。
「だって朝からずっと動いてたんだぞ。腹くらい減るだろ」
「俺はまだ巡回が残ってる。トーラ、先に帰ってろ」
「よし!」
さっきまでアウルベアについて話していたとは思えないほど嬉しそうな声に、キーヴァルが笑った。
「アーヴェル、俺たちも帰るか」
「うん」
「じゃあな、アーヴェル。また明日!」
「また明日」
いつもの調子に戻ったトーラの声を聞きながら、アーヴェルはキーヴァルとともに詰所をあとにした。