Old Unknown Novel

第四話 庇護

北の廃坑に現れたアウルベアを確かめるため、キーヴァルたちが森へ向かう第四話。

本文

数日後。

 馬車の修理を待つあいだ、コメルはすっかりアーヴェルたちと打ち解けていた。

 怪我が落ち着いてからは、アーヴェルやトーラ、それにミリカも加わり、村の中を案内したり、川へ釣りに出かけたりして一緒に過ごした。

 ほんの数日ではあったが、四人にとっては十分だった。

 そして、馬車の修理が終わると、別れの日がやってきた。

 フィンリッジ村の入口には、旅支度を整えた馬車が停まっていた。

 横転した際に傷んだ車輪や車軸はすっかり修理され、二頭の馬も元通り馬具につながれている。荷台には、この村で仕入れた薬草や薬が積み込まれていた。

「本当に世話になったな」

 御者台の脇に立ったロケルが、見送りに集まったアーヴェルたちを見回した。

 そこにはアーヴェルとトーラ、それにミリカも来ている。

「今度は俺たちが礼をする番だ。ウグネルに来ることがあったら、必ず店に寄ってくれ」

「うん!」

 トーラが元気よく答えた。

「コメルも元気でね」

 アーヴェルが声をかけると、荷台にいたコメルが笑顔で手を振った。

「アーヴェルたちも!」

 やがてロケルが御者台へ乗り込み、ペドラも馬車に乗った。

 二頭の馬がゆっくりと歩き始め、馬車が村の入口から街道へ進んでいく。

「じゃあなー!」

 遠ざかっていく馬車に向かって、トーラが大きく手を振った。

 コメルも荷台から身を乗り出すようにして、何度も手を振り返している。

 馬車はそのまま街道を進み、やがて村を囲む木々の向こうへ姿を消した。

     ◇

 それからしばらくして。

 いつもの朝の鍛錬を終えたアーヴェルは、自宅の庭に置かれたテーブルで一冊の本を開いていた。

 ロケルからもらった『英雄クラウス物語』だ。

 すでに最後まで読み終えていたが、それでもアーヴェルは、また最初のページから読み返していた。

 少し離れたところでは、トーラとミリカが木剣を手に向かい合っている。

「だから、ここはもうちょっとこうだろ?」

「違うって。こうじゃない?」

 鍛錬はとっくに終わっているというのに、二人は構えについてあれこれ言い合っていた。

 そんな二人を横目に、アーヴェルが再び本へ目を落としたときだった。

「キーヴァル、ちょっといいか」

 声とともに庭へ入ってきたのは、バークスだった。

「どうした?」

「リューベンから話は聞いたか?」

「いや。何かあったのか?」

 バークスはキーヴァルのそばまで歩み寄ると、声を落として告げた。

「アウルベアが出た」

「アウルベア?」

 キーヴァルの表情がわずかに変わった。

「なんでまた、こんなところに?」

「さあな。キーヴァル、急で悪いが見てきてくれるか?」

「ああ、分かった。場所は?」

「山菜を採りに行った奴が、北の廃坑付近で姿を見たらしい」

「分かった。すぐに出るよ」

 二人の会話を聞いていたトーラが、真っ先に声を上げた。

「キーヴァルさん、俺も連れてってくれ!」

「駄目だ」

 バークスが即座に答える。

「なんでだよ!」

「アウルベアは人の言葉を理解するほど頭のいい魔物だ。長く生きた個体の中には、俺たちと同じ共通語を話す奴までいる。それに、雷属性の魔法まで使う。子供がついていっていい相手じゃない」

「でも、キーヴァルさんもいるんだろ?」

「そういう問題じゃない」

「俺、絶対に邪魔しないから!」

「駄目だと言ってるだろ」

 二人のやり取りを聞いていたアーヴェルも、手にしていた本を閉じた。

 アウルベア。

 名前は知っている。

 けれど、実際に見たことは一度もない。

「……僕も、見てみたい」

「アーヴェルまで何言ってんだ」

 バークスの眉間に深い皺が寄る。

「遊びじゃないんだ! いい加減に――」

「バークス」

 声を荒らげるバークスを、キーヴァルが制した。

「同行させるだけなら問題ない」

「しかしなあ……」

「もちろん、戦わせるつもりはない。遠くから見せるだけだ」

 キーヴァルは、アーヴェルとトーラへ目を向けた。

「こいつらも、フラッファーくらいなら自分たちで狩れる。ゴブリン相手でも、一対一なら倒せるだろう。だからこそ、自分たちじゃどうにもならない相手がいることも、そろそろ知っておいたほうがいい」

 バークスは黙ったまま、キーヴァルを見ている。

「怖いと思うことは恥じゃない。何が危険なのかを知っていれば、逃げなきゃならないときに逃げられる。それも、生き残るために必要な経験だ」

 しばらく考え込んだあと、バークスが大きく息を吐いた。

「……分かった」

「やった!」

「ただし!」

 喜びの声を上げたトーラを、バークスが鋭く睨みつける。

「条件が二つある。絶対に手を出すな。それから、何があってもキーヴァルの指示に従え」

「分かった!」

「うん、分かった」

「よし、じゃあしっかり装備を整えてから行け」

     ◇

 村を出て北へ向かう道中、キーヴァルは二人にアウルベアについて話した。

 アウルベアは、大きな身体と凄まじい膂力を持つだけの魔物ではない。

非常に知能が高く、人の言葉を理解する。さらに、長く生きた個体の中には、自ら共通語を操るものまでいる。

 さらに雷属性の元素魔法を使うことができ、近づかなければ安全という相手でもなかった。

「魔法まで使うのかよ……」

 トーラが不安そうに、腰の剣へ目を落とした。

「ああ。だから絶対に勝手なことはするな」

「分かってるよ」

「アーヴェルもだぞ」

「うん」

 二人の返事を確かめてから、キーヴァルは続けた。

「相手を見て怖いと思ったら、それでいい。無理に立ち向かおうとする必要はないからな」

「でも、怖がって逃げるのって格好悪くない?」

 トーラが尋ねると、キーヴァルは迷うことなく答えた。

「死ぬよりはずっといい」

 あっさりと言い切られ、トーラが口を閉じる。

「自分より強い相手なんて、いくらでもいる。何が危険なのか分からない奴のほうが危ないんだ。逃げるべきときに逃げられるようになれ」

 それからしばらく歩き、三人は森の奥に残された古い廃坑へたどり着いた。

 入口の周囲には草が生い茂り、長い間、人の手が入っていないことが一目で分かる。

 キーヴァルは坑口へ近づくと、しゃがみ込んで地面を確かめた。

 踏み倒された草。柔らかな土に残された、大きな足跡。

 しばらく痕跡を追ったあと、キーヴァルは立ち上がった。

「二人とも、ここで待ってろ」

「え?」

 トーラが不満そうな声を上げる。

「俺が中を確認してくる。お前たちは、坑口が見えるところまで下がって待ってるんだ。この距離なら何かあってもすぐに対処できるからな」

「わ、わかった」

 キーヴァルの口調には、有無を言わせないものがあった。

「もし俺が戻れと言ったら、理由を聞かずに村へ戻れ。いいな?」

「うん」

「うん」

 二人の返事を確かめると、キーヴァルは坑道へ数歩入ったところで、松明に火を灯した。

 アーヴェルとトーラは言われた通り、坑口から距離を取り、木立の陰から様子を窺った。

 しばらく待っても、何も起こらない。

 風が梢を揺らす音だけが聞こえている。

「……いたのかな」

 アーヴェルが小さく呟いた、そのときだった。

「それ以上近づくな!」

 地の底から響いてくるような低い声が、坑道の奥から聞こえた。

「……っ!」

 トーラが息を呑む。

 アーヴェルも思わず身体を強張らせた。

 やがて、坑道の暗がりからキーヴァルの姿が現れた。

 何かを見据えたまま、ゆっくりと後退している。

 右手は剣の柄のそばにある。

 そして――その向こう。

 坑道の闇の中から、巨大な影が姿を現した。

「……あれが……」

 アーヴェルは目を見開いた。

 大きい。

 遠くから見ているにもかかわらず、その巨体が放つ存在感は圧倒的だった。

 熊を思わせる四肢。その肩から続く鳥のような頭部。鋭い嘴と、こちらを見据える大きな瞳。

 アウルベア。

 知識としてしか知らなかった魔物が、そこにいる。

 次の瞬間。

 肌を刺すような威圧感が、坑口から一気に広がった。

「……っ!」

 アーヴェルの身体が強張った。

 距離がある。

 キーヴァルも二人の前にいる。

 それでも、身体の奥から湧き上がってくる恐怖を抑えることができなかった。

 隣のトーラも同じだった。

 腰には、ロケルからもらったばかりの剣がある。

 だが、そこへ手を伸ばそうという気持ちすら起こらない。

 怖い。

 頭で考えるよりも先に、身体がそう訴えていた。

 そんな二人とは対照的に、キーヴァルは立ち止まったまま、静かにアウルベアを見ていた。

「……この威圧を受けて、眉一つ動かさぬか」

 アウルベアの低い声が響く。

 さらに強い威圧感が放たれた。

 それでもキーヴァルは剣を抜かなかった。

 ただ、相手の様子を見ている。

 いや――。

 キーヴァルが見ていたのは、アウルベアそのものではなかった。

 その大きな身体の陰。

 そこから、小さな影が顔を覗かせた。

 アウルベアの子供だった。

「……子供がいたのか」

 キーヴァルの表情から、わずかに緊張が抜けた。

 そして剣の柄のそばにあった右手を、ゆっくりと下ろす。

「悪かった。子連れとは知らなかった」

 アウルベアは何も答えない。

 ただ幼体を庇うように立ち、キーヴァルから目を離さなかった。

「こっちも無駄な戦いをするつもりはない。すぐに離れる」

 キーヴァルはそう告げると、一歩ずつ後ろへ下がり始めた。

 アウルベアは追ってこない。

 坑口から出ることもなく、ただこちらの動きを見定めている。

 十分に距離を取ったところで、キーヴァルはようやくアーヴェルたちのほうへ向き直った。

「見たか?」

 アーヴェルは黙って頷いた。

 トーラも、いつもの勢いはどこへやら、真剣な顔で頷いている。

「じゃあ、戻るぞ」

「うん」

 二人が歩き出したあと、アーヴェルはもう一度だけ振り返った。

 暗い坑口の前。

 巨大なアウルベアは今もそこに立っている。

 その身体の陰から、小さな幼体がこちらを覗いていた。

 だが親と思われる大きなアウルベアは、一歩もその場を離れようとはしない。

 まるで、我が子と外の世界との間に立つ壁のように。

 アーヴェルはしばらくその姿を見つめたあと、前へ向き直り、キーヴァルたちの後を追った。

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