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翌朝。
いつものように庭での鍛錬を終えると、アーヴェルたちは朝食の席についていた。
「アーヴェル」
向かいに座るキーヴァルが、食事の手を休める。
「お前、まだクラウスの物語を読んでるのか?」
「うん」
アーヴェルは迷いなく頷いた。
ロケルからもらった『英雄クラウス物語』は、すでに何度読み返したか分からない。それでも飽きることはなく、読み終えるたびに、むしろ続きが気になって仕方がなかった。
「父さん、二巻が欲しいんだ」
「続きか」
「うん。どこかで売ってないかな」
「そうだなぁ……」
キーヴァルは少し考えるように視線を上げた。
「フィンリッジには本を扱ってる店がないからな。ダリウスに聞いてみたらどうだ?」
「ダリウスさんに?」
「ああ。あいつなら仕入れで村の外にも出る。何か知ってるかもしれないぞ」
その言葉に、アーヴェルの表情が明るくなった。
朝食を終えるころには、もう気持ちは雑貨屋へ向かっていた。
◇
フィンリッジで雑貨屋を営んでいるダリウスは、村長リューベンの息子でもある。
店には鍋などの日用品から農作業に使う道具、自警団が必要とする武具まで、村での暮らしに欠かせない品々が揃っている。専門の店がいくつもあるような大きな町とは違い、フィンリッジではここ一軒でさまざまな品を扱っていた。
アーヴェルが店へ着くと、その前に一台の馬車が停まっていた。
荷台のそばでは、一人の男が馬車の具合を確かめている。
「ダリウスさん、おはよう」
「ん?」
声に気づいた男が顔を上げた。
「おう、アーヴェルか。おはよう。どうした、こんな朝から」
「あの、聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「『英雄クラウス物語』って知ってる?」
「ああ、知ってるぞ」
「第二巻が欲しいんだ。ここに置いてない?」
期待を込めて尋ねたものの、ダリウスは申し訳なさそうに首を振った。
「一冊にまとめた子供用のおとぎ話の方ならあるけどな」
「そっか……」
分かりやすく肩を落としたアーヴェルを見て、ダリウスが笑う。
「そんな顔するなって。ここにはなくても、ドルガフまで行けば見つかるかもしれないぞ」
「ドルガフかぁ」
「フィンリッジよりずっと大きいからな。本を扱ってる店もある。よかったら一緒に行くか?」
「え!?」
アーヴェルは顔を上げた。
しかし、ドルガフにあると言われたところで、一人で行けるわけではない。 そんな心の内が顔に出ていたのだろう。
「ちょうどドルガフに品卸しに行くとこなんだ。」
「いいの!?」
さっきまで沈んでいた顔が、一瞬で輝く。
「ああ。俺は構わんぞ。ただし、キーヴァルにちゃんと聞いてこい」
「うん! 聞いてくる!」
返事をするや否や、アーヴェルは家へ向かって駆け出した。
◇
「ドルガフ?」
戻ってきた息子から事情を聞いたキーヴァルは、特に驚いた様子もなく聞き返した。
「うん。ダリウスさんが一緒に来るかって。行ってもいい?」
「ダリウスと一緒なら問題ないだろ。ドルガフまでなら馬車で三~四時間くらいだし、それほど危険な道でもないからな」
「じゃあ――」
「いいぞ。行ってこい」
「やった!」
喜ぶアーヴェルの横から、不満そうな声が飛んできた。
「お兄ちゃんだけズルい!」
ミリカが頬を膨らませている。
「あたしも行きたい!」
「今日はダリウスさんの仕入れについていくだけだよ」
「でもドルガフに行くんでしょ!」
どうやら納得するつもりはないらしい。
すると、二人のやり取りを聞いていたサリスが、ミリカのそばへ寄った。
「それじゃあミリカ。今日はお母さんと一緒に、お菓子でも作ろうか」
「お菓子?」
さっきまでアーヴェルを睨んでいた目が、すぐに母へ向く。
「ええ」
「……甘いやつ?」
「もちろん」
ミリカはしばらく考え込んだ。
「……じゃあ、いい」
その答えに、サリスがくすくすと笑う。
アーヴェルは部屋に戻り、小遣いを革袋に入れ、ダリウスのもとへ向かった。
◇
「アーヴェル!」
道の途中で聞き慣れた声に呼び止められた。
振り返るまでもなく、誰なのかは分かる。
「トーラ」
「どこ行くんだ?」
近づいてきたトーラは、出かける支度をしたアーヴェルを不思議そうに見た。
「釣りに誘おうかと思ってたんだけどさ」
「今日はダリウスさんとドルガフに行くんだ」
「ドルガフ!?」
案の定、トーラが食いついた。
「なんで!?」
「『英雄クラウス物語』の二巻を探しに行くんだよ。ダリウスさんがちょうど仕入れに行くから、一緒に連れてってくれるって」
「俺も行く!」
「え?」
「俺も行く!」
「なんで二回言うんだよ……」
二人で雑貨屋まで行くと、出発の準備をしていたダリウスは事情を聞いて豪快に笑った。
「ああ、いいよ。なら団長に許可もらってこい」
「分かった!」
トーラはそのまま走り出した。
「……相変わらず元気だな、あいつ」
遠ざかっていく背中を眺めながら、ダリウスが笑いながら呟く。
それからしばらくして。
「いいってさー!」
道の向こうから声が聞こえたかと思えば、トーラが凄まじい勢いで駆けてくる。
「早いな……」
アーヴェルが思わず呟いた。
◇
こうして二人を乗せた馬車は、フィンリッジを後にした。
初めのうちは、荷台から見えるものもアーヴェルにとって馴染み深いものばかりだった。
見慣れた森。何度も歩いたことのある街道。
ところが一時間も走るころには、いつの間にか周囲の景色から知っているものが減っていた。
アーヴェルは荷台から身を乗り出すようにして、流れていく景色を眺める。
初めて見る場所だった。
フィンリッジからそれほど遠く離れたわけでもない。それなのに、知らない景色の中を進んでいるというだけで胸が高鳴る。
隣ではトーラも忙しなく辺りを見回していた。
「なあ、ダリウスさん」
「なんだ?」
「ドルガフって、どんな町なの?」
アーヴェルが尋ねると、御者台から声が返ってきた。
「そうだな。フィンリッジよりはずっと人が多い。とはいっても、治安はいい町だぞ」
「ダリウスさんはよく行くの?」
「仕入れもあるからな。それにドルガフはおふくろの故郷なんだ」
「セリーヌさんの?」
「ああ」
アーヴェルは少し意外に思った。
セリーヌがフィンリッジの生まれではないことを、これまで意識したことがなかった。
「他には何があるんだ?」
今度はトーラが尋ねる。
「他か? 店もフィンリッジよりずっと多いし――ああ、冒険者ギルドもあるぞ」
「冒険者ギルド!?」
二人の声が重なった。
ダリウスが思わず振り返る。
「なんだ、急に」
「本当にあるの!?」
「そりゃあるさ」
「冒険者もいる?」
「いるぞ」
「魔法使いは?」
「いるんじゃないか?」
次々に飛んでくる質問に、ダリウスは苦笑した。
「お前ら、さっきまで景色ばっかり見てたくせに、急にうるさくなったな」
そう言われても、二人の興奮は簡単には収まらない。
アーヴェルにとって冒険者とは、本の中や人から聞く話の向こう側にいる存在だった。
その冒険者たちが集まる場所が、これから向かう町にある。
いつしか流れていく景色を見ることさえ忘れ、アーヴェルはダリウスの話に聞き入っていた。隣のトーラまで、珍しく口を挟まず耳を傾けている。
やがて馬車の速度が緩やかになった。
「ほら、見えてきたぞ」
ダリウスの声に、二人は揃って前方へ目を向ける。
街道の先に、フィンリッジでは見ることのない門が見えていた。
「あれが……ドルガフ?」
「ああ」
門へ近づくにつれ、人の姿も、行き交う馬車も増えていく。
入口を守る衛兵の一人がダリウスに気づき、片手を上げた。
「おう、ダリウス。今日も仕入れか?」
「ああ。いつものやつだ」
顔馴染みなのだろう。簡単な確認を済ませると、衛兵は馬車を通した。
車輪がゆっくりと門をくぐっていく。
その向こうへ目を向けたアーヴェルは、思わず息を呑んだ。
初めて訪れる町――ドルガフ。
これまで本の中でしか知らなかった「外の世界」が、今、自分の目の前に広がろうとしていた。