本文
自室へ戻ったアーヴェルは、待ち望んでいた『英雄クラウス物語 第二巻』を開いた。
そこに描かれていたのは、エルネスト公国軍へ入ったクラウスが数々の戦いと出会いを重ね、一人の兵士から、やがて英雄と呼ばれる存在へと昇り詰めていく物語だった。
先を知りたい。
ただそれだけで頁をめくる手は止まらず、眠気を感じてからも、あと少しだけと読み続けた。
その夜、どこまで読んだのかは覚えていない。
いつしかアーヴェルは、本を傍らに置いたまま眠りに落ちていた。
◇
「お兄ちゃーん! 早くしてよー!」
翌朝、庭から響いてきたミリカの声に起こされた。
「トーラ、もう来てるよー!」
「……もう?」
昨夜の記憶が途切れたところから、朝は容赦なく始まったらしい。
急いで支度を済ませて庭へ出るなり、ミリカから「遅い!」と怒られた。
「また本か?」
トーラが笑う。
「うん」
その答えにキーヴァルまで苦笑したが、トーラにはそれより気になっていることがあった。
「そうだ、キーヴァルさん。魔剣って知ってる?」
「お前もか」
「昨日、本屋で見たんだ。どんな剣なんだ?」
「魔剣にもいろいろある。炎や雷の力を宿したものもあれば、精霊が宿っていると言われるものもある。俺も実物を見たことはないけどな」
剣の話となれば、トーラは真剣だった。
いつの間にかミリカまで静かになっている。
「ただ、特別な剣ってのは魔剣だけじゃない」
「他にもあるの?」
アーヴェルが尋ねた。
「ああ。世の中には名剣って呼ばれる剣もある」
「メイケン?」
初めて聞く言葉を、ミリカがそのまま繰り返す。
「魔法みたいな特別な力は持ってなくても、剣として出来がいいんだ。切れ味が落ちにくかったり、簡単には折れなかったり、手に馴染んで扱いやすかったりな。腕のいい鍛冶師が手間をかけて仕上げた剣の中には、そうやって長く使われるものがある」
ミリカは少し考えたあと、父の腰にある剣へ目を向けた。
「じゃあ、お父さんの持ってる剣はメイケン?」
「俺のか?」
キーヴァルは声を上げて笑った。
「はは、俺のはリューベンが片手間に鍛えてくれた普通の剣だ」
「普通なの?」
「ああ。でも、ちゃんと切れるし丈夫だぞ。普段使うには十分だ」
キーヴァルにとっては、それで何の不満もないらしい。
そんな話をしたあと、三人はいつもの朝の鍛錬に入った。
◇
鍛錬を終えると、アーヴェルは庭のテーブルで第二巻の続きを開いた。
その向かいでは、トーラとミリカの興味がまだ名剣に残っている。
「名剣って、見れば分かるのかな」
「どうなんだろ?」
そんな声を聞きながら頁をめくっていると、家の窓からサリスが顔を出した。
「三人とも、そろそろ教会へ行く時間よ」
アーヴェルはそこでようやく本から顔を上げた。
トーラとミリカも、剣の話をしているうちに時間を忘れていたらしい。
「お前たち」
三人が出かけようとしたところで、キーヴァルが声をかけた。
「そんなに名剣が気になるなら、教会の帰りにリューベンのところへ寄ってみろ。鍛冶のことなら、俺よりずっと詳しい」
トーラとミリカの表情が明るくなった。
アーヴェルは第二巻を家に置き、二人と一緒に教会へ向かった。
◇
週に三度の午前、フィンリッジの教会は子供たちの学びの場になる。
司祭のカシアンから教わるのは、読み書きや計算、それに日々の暮らしに必要な知識だった。
その日の授業も、いつもと変わらない。
アーヴェルは出された問題を順調に解いていったが、勉強の苦手なトーラは計算になるたび考え込み、ミリカは時間が経つにつれて窓の外が気になり始める。
それでもカシアンは急かすことなく、それぞれの理解に合わせて丁寧に教えていった。
やがて授業が終わり、子供たちが帰り始める。
アーヴェルも教会を出ようとしたところで、ふとカシアンにも聞いてみたくなった。
「カシアンさん、魔剣って知ってる?」
「魔剣?」
カシアンは少し考えた。
「名前は知っているけど、剣のことは詳しくないな。そういう話なら、お父さんかリューベンさんに聞いたほうがいいと思うよ」
「やっぱり村長さんか」
「ただ、剣とは違うけど、魔法を助ける道具なら私にも多少は分かるよ」
その言葉に、アーヴェルの興味がすぐにそちらへ向いた。
「どんな道具?」
「たとえば、回復魔法の効果を高める杖がある。同じだけの魔力を使っても、道具の助けがあれば治癒の効果を高められるんだ。ほかにも、一時的に術者の魔力を補ってくれる装具なんかもあるよ」
「カシアンさんも使うの?」
「必要ならね」
アーヴェルとトーラが揃ってカシアンを見る。
「えっ、カシアンさん、治癒魔法使えるの?」
「ああ」
驚く二人がおかしかったのか、カシアンは笑った。
「カラド・ヴァルデア寺院では、司祭として学ぶ者は初級の回復魔法を身につけることになっているんだ」
「司祭も人を治すの?」
「普段から治療を専門にしているわけじゃないよ。でも、大きな災害や事故で一度に大勢の怪我人が出れば、回復術師だけでは手が足りなくなることがある。そんなときは、回復魔法を扱える司祭も治療に加わるんだ」
アーヴェルは納得しかけて、もう一つ疑問を覚えた。
「でも、ずっと魔法を使ってたら、魔力がなくならない?」
「もちろん。だから無理はできない」
カシアンの声が少し真面目になる。
「魔力が減りすぎると、ひどく疲れたり、眩暈がしたりする。さらに使い続ければ身体に力が入らなくなって、意識を失うこともあるんだ」
「全部なくなったら?」
「魔力枯渇だね」
聞き慣れない言葉だった。
「普通なら、きちんと休めば少しずつ回復する。でも、完全に枯渇した状態が長く続くと、身体への負担が大きくなって、ひどい場合には命に関わることもある」
それまで黙って聞いていたミリカの表情まで真剣になった。
「だから治療する側も、自分の魔力を使い切らないようにしなければならない。さっき話した杖や装具は、その負担を減らすためにも使われるんだよ」
「回復魔法を強くできれば、少ない魔力で治せるから?」
「そういうこと」
カシアンが頷いた。
「自分の魔力を残しながら治療できれば、そのぶん多くの人を助けられるからね」
魔剣について尋ねただけだったのに、話はいつの間にか、アーヴェルの知らなかった魔法の使い方へと広がっていた。
剣に宿る力。
術者の魔法を助ける道具。
同じように魔法と関わる品でも、その役割はまるで違う。
「……面白い」
思わず口にすると、カシアンが笑った。
「アーヴェルは本当に、知らないことが好きだね」
「うん。知るたびにもっと知りたくなるんだ」
まだ話を聞いていたかったが、隣からトーラに声をかけられた。
「アーヴェル、そろそろ村長のところ行こうぜ」
「あ、そうだった」
今度は鍛冶師から、どんな話が聞けるのだろう。
アーヴェルはカシアンに礼を言い、トーラとミリカとともに教会をあとにした。