Old Unknown Novel

第六話 行路

『英雄クラウス物語』の第二巻を求め、アーヴェルたちが初めてドルガフへ向かう第六話。

本文

翌朝。

 いつものように庭での鍛錬を終えると、アーヴェルたちは朝食の席についていた。

「アーヴェル」

 向かいに座るキーヴァルが、食事の手を休める。

「お前、まだクラウスの物語を読んでるのか?」

「うん」

 アーヴェルは迷いなく頷いた。

 ロケルからもらった『英雄クラウス物語』は、すでに何度読み返したか分からない。それでも飽きることはなく、読み終えるたびに、むしろ続きが気になって仕方がなかった。

「父さん、二巻が欲しいんだ」

「続きか」

「うん。どこかで売ってないかな」

「そうだなぁ……」

 キーヴァルは少し考えるように視線を上げた。

「フィンリッジには本を扱ってる店がないからな。ダリウスに聞いてみたらどうだ?」

「ダリウスさんに?」

「ああ。あいつなら仕入れで村の外にも出る。何か知ってるかもしれないぞ」

 その言葉に、アーヴェルの表情が明るくなった。

 朝食を終えるころには、もう気持ちは雑貨屋へ向かっていた。

     ◇

 フィンリッジで雑貨屋を営んでいるダリウスは、村長リューベンの息子でもある。

 店には鍋などの日用品から農作業に使う道具、自警団が必要とする武具まで、村での暮らしに欠かせない品々が揃っている。専門の店がいくつもあるような大きな町とは違い、フィンリッジではここ一軒でさまざまな品を扱っていた。

 アーヴェルが店へ着くと、その前に一台の馬車が停まっていた。

 荷台のそばでは、一人の男が馬車の具合を確かめている。

「ダリウスさん、おはよう」

「ん?」

 声に気づいた男が顔を上げた。

「おう、アーヴェルか。おはよう。どうした、こんな朝から」

「あの、聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

「『英雄クラウス物語』って知ってる?」

「ああ、知ってるぞ」

「第二巻が欲しいんだ。ここに置いてない?」

 期待を込めて尋ねたものの、ダリウスは申し訳なさそうに首を振った。

「一冊にまとめた子供用のおとぎ話の方ならあるけどな」

「そっか……」

 分かりやすく肩を落としたアーヴェルを見て、ダリウスが笑う。

「そんな顔するなって。ここにはなくても、ドルガフまで行けば見つかるかもしれないぞ」

「ドルガフかぁ」

「フィンリッジよりずっと大きいからな。本を扱ってる店もある。よかったら一緒に行くか?」

 「え!?」

 アーヴェルは顔を上げた。

 しかし、ドルガフにあると言われたところで、一人で行けるわけではない。 そんな心の内が顔に出ていたのだろう。

「ちょうどドルガフに品卸しに行くとこなんだ。」

 「いいの!?」

 さっきまで沈んでいた顔が、一瞬で輝く。

「ああ。俺は構わんぞ。ただし、キーヴァルにちゃんと聞いてこい」

「うん! 聞いてくる!」

 返事をするや否や、アーヴェルは家へ向かって駆け出した。

     ◇

「ドルガフ?」

 戻ってきた息子から事情を聞いたキーヴァルは、特に驚いた様子もなく聞き返した。

「うん。ダリウスさんが一緒に来るかって。行ってもいい?」

「ダリウスと一緒なら問題ないだろ。ドルガフまでなら馬車で三~四時間くらいだし、それほど危険な道でもないからな」

「じゃあ――」

「いいぞ。行ってこい」

「やった!」

 喜ぶアーヴェルの横から、不満そうな声が飛んできた。

「お兄ちゃんだけズルい!」

 ミリカが頬を膨らませている。

「あたしも行きたい!」

「今日はダリウスさんの仕入れについていくだけだよ」

「でもドルガフに行くんでしょ!」

 どうやら納得するつもりはないらしい。

 すると、二人のやり取りを聞いていたサリスが、ミリカのそばへ寄った。

「それじゃあミリカ。今日はお母さんと一緒に、お菓子でも作ろうか」

「お菓子?」

 さっきまでアーヴェルを睨んでいた目が、すぐに母へ向く。

「ええ」

「……甘いやつ?」

「もちろん」

 ミリカはしばらく考え込んだ。

「……じゃあ、いい」

 その答えに、サリスがくすくすと笑う。

 アーヴェルは部屋に戻り、小遣いを革袋に入れ、ダリウスのもとへ向かった。

     ◇

「アーヴェル!」

 道の途中で聞き慣れた声に呼び止められた。

 振り返るまでもなく、誰なのかは分かる。

「トーラ」

「どこ行くんだ?」

 近づいてきたトーラは、出かける支度をしたアーヴェルを不思議そうに見た。

「釣りに誘おうかと思ってたんだけどさ」

「今日はダリウスさんとドルガフに行くんだ」

「ドルガフ!?」

 案の定、トーラが食いついた。

「なんで!?」

「『英雄クラウス物語』の二巻を探しに行くんだよ。ダリウスさんがちょうど仕入れに行くから、一緒に連れてってくれるって」

「俺も行く!」

「え?」

「俺も行く!」

「なんで二回言うんだよ……」

 二人で雑貨屋まで行くと、出発の準備をしていたダリウスは事情を聞いて豪快に笑った。

「ああ、いいよ。なら団長に許可もらってこい」

「分かった!」

 トーラはそのまま走り出した。

「……相変わらず元気だな、あいつ」

 遠ざかっていく背中を眺めながら、ダリウスが笑いながら呟く。

 それからしばらくして。

「いいってさー!」

 道の向こうから声が聞こえたかと思えば、トーラが凄まじい勢いで駆けてくる。

「早いな……」

 アーヴェルが思わず呟いた。

     ◇

 こうして二人を乗せた馬車は、フィンリッジを後にした。

 初めのうちは、荷台から見えるものもアーヴェルにとって馴染み深いものばかりだった。

 見慣れた森。何度も歩いたことのある街道。

 ところが一時間も走るころには、いつの間にか周囲の景色から知っているものが減っていた。

 アーヴェルは荷台から身を乗り出すようにして、流れていく景色を眺める。

 初めて見る場所だった。

 フィンリッジからそれほど遠く離れたわけでもない。それなのに、知らない景色の中を進んでいるというだけで胸が高鳴る。

 隣ではトーラも忙しなく辺りを見回していた。

「なあ、ダリウスさん」

「なんだ?」

「ドルガフって、どんな町なの?」

 アーヴェルが尋ねると、御者台から声が返ってきた。

「そうだな。フィンリッジよりはずっと人が多い。とはいっても、治安はいい町だぞ」

「ダリウスさんはよく行くの?」

「仕入れもあるからな。それにドルガフはおふくろの故郷なんだ」

「セリーヌさんの?」

「ああ」

 アーヴェルは少し意外に思った。

 セリーヌがフィンリッジの生まれではないことを、これまで意識したことがなかった。

「他には何があるんだ?」

 今度はトーラが尋ねる。

「他か? 店もフィンリッジよりずっと多いし――ああ、冒険者ギルドもあるぞ」

「冒険者ギルド!?」

 二人の声が重なった。

 ダリウスが思わず振り返る。

「なんだ、急に」

「本当にあるの!?」

「そりゃあるさ」

「冒険者もいる?」

「いるぞ」

「魔法使いは?」

「いるんじゃないか?」

 次々に飛んでくる質問に、ダリウスは苦笑した。

「お前ら、さっきまで景色ばっかり見てたくせに、急にうるさくなったな」

 そう言われても、二人の興奮は簡単には収まらない。

 アーヴェルにとって冒険者とは、本の中や人から聞く話の向こう側にいる存在だった。

 その冒険者たちが集まる場所が、これから向かう町にある。

 いつしか流れていく景色を見ることさえ忘れ、アーヴェルはダリウスの話に聞き入っていた。隣のトーラまで、珍しく口を挟まず耳を傾けている。

 やがて馬車の速度が緩やかになった。

「ほら、見えてきたぞ」

 ダリウスの声に、二人は揃って前方へ目を向ける。

 街道の先に、フィンリッジでは見ることのない門が見えていた。

「あれが……ドルガフ?」

「ああ」

 門へ近づくにつれ、人の姿も、行き交う馬車も増えていく。

 入口を守る衛兵の一人がダリウスに気づき、片手を上げた。

「おう、ダリウス。今日も仕入れか?」

「ああ。いつものやつだ」

 顔馴染みなのだろう。簡単な確認を済ませると、衛兵は馬車を通した。

 車輪がゆっくりと門をくぐっていく。

 その向こうへ目を向けたアーヴェルは、思わず息を呑んだ。

 初めて訪れる町――ドルガフ。

 これまで本の中でしか知らなかった「外の世界」が、今、自分の目の前に広がろうとしていた。

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