本文
「マケン?」
トーラが首を傾げた。
「マケンってなんだよ」
「さあ……」
アーヴェルも表紙に書かれた二文字を見つめる。
「でも、名前からして普通の剣じゃなさそうだね。父さんやダリウスさんなら知ってるかも」
「ふーん……」
トーラは興味深そうに、手にした本へ視線を戻した。
そこでアーヴェルは、ようやくその本の表紙に書かれた題名に気づいた。
『武器大全』
「トーラ、そんな本見てたんだ」
「ん? ああ。剣のこともいっぱい載ってるみたいだからさ」
そう言いながら、トーラは本を開こうとする。
「今度は武器の本かい?」
声をかけられ、二人は振り返った。
店の老婆が、カウンターの向こうから面白そうにこちらを見ている。
「この魔剣って、なんなんだ?」
トーラが本を見せながら尋ねた。
「それなら、その本に載っているよ」
「ほんと?」
トーラはすぐに頁をめくり始めた。
だが、何頁かめくったところで、店の扉が開く音がした。
「おーい、終わったぞ」
聞き慣れた声に二人が振り返る。
店へ入ってきたのはダリウスだった。
「仕入れは終わったんだ。そろそろ帰るぞ」
「もう?」
トーラが残念そうに本へ目を落とす。
「ああ。あんまり遅くなると、村に着く頃には暗くなっちまうからな」
「……分かった」
トーラはもう一度だけ『武器大全』の表紙を見ると、元あった棚へ戻した。
アーヴェルも買ったばかりの『英雄クラウス物語 第二巻』を大切そうに抱え直す。
「ありがとうございました!」
「はいよ。またおいで」
老婆に見送られ、二人はダリウスとともに店をあとにした。
◇
仕入れを終えた馬車の荷台には、朝とは違っていくつもの木箱や麻袋が積まれていた。
空いている場所はそれほど広くなく、アーヴェルとトーラは荷台の端に並んで腰を下ろす。
ダリウスが御者台から手綱を操り、馬車はゆっくりとドルガフの通りを進んでいった。
行き交う人々。
立ち並ぶ店。
石畳の上を走る荷車。
朝から目にしたものを、アーヴェルはもう一度眺めていた。
やがて馬車は町の門を抜け、フィンリッジへ続く街道へ出た。
ドルガフの町並みが少しずつ遠ざかっていく。
しばらくすると、隣に座っていたトーラが御者台へ向かって声を上げた。
「なあ、ダリウスさん」
「なんだ?」
「魔剣って知ってる?」
「魔剣?」
ダリウスが少しだけ振り返る。
「ああ。さっき本屋で見たんだ。魔剣って書いてあった」
「そうだなぁ……」
ダリウスは前を向いたまま、少し考えた。
「俺も詳しくはないが……精霊や魔法の力が宿った剣らしいぞ」
「精霊!? 魔法!?」
今度はアーヴェルが身を乗り出した。
「ダリウスさん、詳しく教えてよ!」
「だから詳しくないって」
ダリウスが苦笑する。
「でも、精霊の力が宿ってるんでしょ? どんな精霊? 魔法って、剣から出るの?」
「知らん知らん。俺に聞くなって」
「えー……」
「魔剣のことなら、キーヴァルに聞いてみろ。俺よりは知ってるだろ」
「父さんに?」
「ああ」
アーヴェルは腕の中に抱えた本へ目を落とし、それから隣のトーラを見る。
「帰ったら聞いてみようか」
「おう!」
トーラも大きく頷いた。
馬車は街道を進み続ける。
朝には初めて見る景色ばかりに目を奪われていた二人も、帰り道では少しずつ口数が減っていった。
気づけば、空は赤みを帯び始めていた。
西へ傾いた陽が木々の隙間から差し込み、街道を橙色に染めている。
荷台の端では、アーヴェルが念願だった『英雄クラウス物語 第二巻』を膝の上に置いている。
その隣では、トーラがどこか考え込むように、流れていく景色を眺めていた。
馬車は夕暮れの街道を、フィンリッジへ向かって走り続けた。
フィンリッジへ着く頃には、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。
西の空には沈みかけた陽が残り、村の家々からは夕餉の支度をする煙が細く立ちのぼっている。
見慣れた景色が近づいてくると、朝からずっと外の景色に目を奪われていたアーヴェルも、ようやく帰ってきたのだと実感した。
馬車はそのまま村の中を進み、やがてダリウスの雑貨屋の前で止まった。
「よし、着いたぞ」
ダリウスが御者台から降りる。
アーヴェルとトーラも荷台から飛び降りると、積まれた木箱へ手を伸ばした。
「じゃあ、これ運べばいい?」
「俺はこっち持つぞ」
「いい、いい。もう遅いから、お前らは帰れ」
「でも、朝は手伝っただろ?」
「朝は朝だ。もう日も暮れる。こっちは俺がやるから大丈夫だ。」
トーラはまだ手伝いたそうにしていたが、アーヴェルは腕に抱えた本へ目を落とした。
「……じゃあ、帰ろうか」
「お前は早く本が読みたいだけだろ」
「うん」
ダリウスが声を出して笑った。
「ダリウスさん、今日はありがとう」
アーヴェルが頭を下げる。
「俺も! 楽しかった!」
「おう。また行こうな!」
「ほんと!?」
「ああ!」
二人はダリウスにもう一度礼を言うと、雑貨屋をあとにした。
途中でトーラと別れ、アーヴェルは家へ向かう。
「じゃあな、アーヴェル!」
「うん。また明日」
手を振って走っていくトーラを見送ってから、アーヴェルも家へ向かった。
◇
「ただいま!」
家の扉を開けた途端、温かな空気と一緒に夕食のいい香りが漂ってきた。
「おかえりなさい」
奥からサリスの声が聞こえる。
その直後だった。
「お兄ちゃん!」
ぱたぱたと足音を響かせながら、ミリカが駆けてきた。
「おかえり! 何買ったの!?」
「え?」
「ドルガフ! 何か買ってきたんでしょ?」
目を輝かせながら、アーヴェルが抱えているものを覗き込もうとする。
アーヴェルは待ってましたと言わんばかりに、嬉しそうに本を持ち上げた。
「これ!」
表紙をミリカへ向ける。
「『英雄クラウス物語』の第二巻!」
「…………なーんだ」
ミリカの顔から、あっという間に興味が消えた。
「えっ」
「また本じゃん」
「またって……これを買いに行ったんだよ?」
「お菓子とか、何か面白いもの買ってきたのかと思った」
「買ってないよ」
「なーんだ……」
二度目だった。
アーヴェルは大切な本を抱えたまま、少し納得のいかない顔で妹を見る。
「二人とも、そろそろご飯にするわよ」
サリスの声が聞こえた。
「はーい!」
さっきまで兄の買い物に興味津々だったミリカは、今度は夕食へ向かって駆けていった。
アーヴェルも本を部屋へ置いてから、食卓へ向かった。
◇
食卓には、すでに夕食が並んでいた。
アーヴェルとミリカが席につき、サリスも腰を下ろす。
キーヴァルを含めた四人で食事を始めてしばらくすると、アーヴェルは昼間のことを思い出した。
「ねえ、父さん」
「ん?」
「魔剣って知ってる?」
キーヴァルが食事の手を止めた。
「魔剣か……」
少し考えるような顔をしてから、アーヴェルを見る。
「なんだ。お前もとうとう剣に目覚めたのか?」
「違うよ」
アーヴェルはすぐに否定した。
「今日、本屋でトーラが見つけたんだ。『武器大全』って本に魔剣って書いてあってさ」
「トーラが本を?」
キーヴァルが少し意外そうな顔をする。
「うん。それで帰りにダリウスさんに聞いたら、精霊とか魔法の力が宿った剣だって言ってた」
「マケンって剣なの?」
それまで食事をしていたミリカが顔を上げた。
「どんな!?」
キーヴァルは、今度は娘まで食いついてきたことがおかしかったのか、小さく笑った。
「魔剣と言っても、その種類や形は様々だ。癒しの効果があるものから邪悪なものまで、な」
「癒し効果があっても魔剣なの?」
アーヴェルが尋ねる。
「ああ。魔剣って名前だから、邪悪な剣とは限らない。そういった特殊な剣を総じて魔剣と呼ぶこともある」
キーヴァルは続ける。
「単純に魔力そのものを宿したものもあれば、魔法を使うモンスターの魔石を埋め込んだものもある。どんな力を持っているかも、剣によって違うんだ」
「へえ……」
アーヴェルは食事の手を止め、すっかり話に聞き入っていた。
「中には、精霊を宿した伝説の剣もあるらしい」
「精霊!」
途端にアーヴェルの目が輝く。
キーヴァルが笑った。
「やっぱりそっちに食いついたか」
「どんな精霊!?」
「有名なのは、炎の精霊イフリートを宿した『炎の剣』だな」
「イフリート!?」
アーヴェルはさらに身を乗り出した。
「父さん、それ見たことあるの!?」
「ない」
「えっ」
「俺だって話で聞いただけだ」
「じゃあ、本当にあるか分からないの?」
「さあな。少なくとも、俺は実物を見たことはない」
「炎の剣って、本当に燃えてるの?」
「だから見たことないって」
「じゃあ、イフリートって剣の中にいるの? 精霊って剣に宿れるの?」
「お兄ちゃんばっかりズルい!」
ミリカが割り込んだ。
「父さん、その剣って強いの!?」
「おいおい……」
次々と飛んでくる質問に、キーヴァルが困ったように笑う。
「一つずつ聞け」
「じゃあ、炎の剣って――」
さらに質問を続けようとしたアーヴェルへ、キーヴァルがふと思い出したように尋ねた。
「ところでアーヴェル」
「なに?」
「お目当ての本は買えたのか?」
「…………」
アーヴェルの動きが止まった。
「……あっ!」
椅子から立ち上がりそうな勢いで声を上げる。
すっかり忘れていた。
今日、自分が何のためにドルガフまで行ったのか。
そして今、自分の部屋には何が置いてあるのか。
アーヴェルは急に食事の手を速めた。
「アーヴェル、もっとゆっくり食べなさい」
サリスが笑いながらたしなめる。
「だって、早く読みたいんだもん」
「本は逃げないわよ」
「うん」
返事はしたものの、食べる速さはあまり変わらない。
やがて残っていた夕食を平らげると、
「ごちそうさま!」
アーヴェルは席を立った。
「父さん! じゃあ炎の剣って普通の剣より強いの?」
背後では、今度はミリカがキーヴァルへ質問を始めている。
「それは剣によるだろうな」
「じゃあ、雷の剣もある!?」
「さあな。あってもおかしくはないが――」
「じゃあじゃあ、あたしでも使える!?」
「待て待て。一つずつ聞けって」
キーヴァルの困ったような声を背中に聞きながら、アーヴェルは階段を駆け上がった。
頭の中はもう、買ったばかりの『英雄クラウス物語 第二巻』のことでいっぱいだった。