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「おい、聞いてるのか?」
トーラの声にも、アーヴェルは答えなかった。
「親父たちに知らせに行こうぜ。なあ、アーヴェル」
「シッ」
アーヴェルが人差し指を口元に立てると、トーラが訝しげに眉を寄せた。
「……なんだよ」
「何か聞こえる」
そう言って、アーヴェルはじっと馬車のほうを見つめた。トーラもつられるように口を閉じ、二人で耳を澄ませる。
風に揺れる草の音や木々の葉が擦れ合う音に混じって、かすかな呻き声が聞こえた。
「……うぅ……」
「え?」
トーラが眉を寄せた。
「今の――」
「人の声だ!」
二人は顔を見合わせると、横倒しになった馬車へ駆け出した。
街道を外れた馬車の周囲には、木箱や麻袋が散乱している。近づいてみると、倒れた馬車のそばに人の姿があった。
「おい! 大丈夫か!」
トーラが声を張り上げると、かすかな声が返ってきた。
「……うぅ…ッ…」
生きている。だが、アーヴェルは辺りを見回し、自分たちだけでどうにかできる状況ではないと判断した。
「トーラ。父さんか団長を呼んできて」
「ああ!」
走り出そうとしたトーラを、アーヴェルがすぐに呼び止めた。
「待って!」
「なんだよ!」
「……やっぱり僕が行く」
「は?」
トーラは一瞬きょとんとしたが、すぐに「ああ」と声を上げた。
「なるほど。じゃあ俺がここで見張ってる」
「うん。すぐ戻る!」
足元に風を集める。
地面を蹴ると同時に、後方へ噴き出した風の反動で加速する。
身体がぐん、と前へ押し出され、一歩。さらに一歩。
風に背中を押されるたびに、走る速さが増していく。
森を抜け、村へ続く道を一気に駆けた。
◇
「団長!」
自警団の詰所へ飛び込むなり、アーヴェルは声を張り上げた。声に気づいた自警団長のバークス・ハーランドが振り返る。
「どうした、アーヴェル。そんなに慌てて」
「馬車が倒れてる! 村の外の街道で! 人も倒れてて、一人はまだ意識がある!」
バークスの表情が変わった。
「場所はどこだ?」
「西の街道! 森を抜けて少し行ったところ!」
「トーラは?」
「現場に残ってる!」
「分かった」
バークスはすぐに近くの団員へ声を飛ばした。
「何人か集めろ! 西の街道だ。担架と手当てに使えるものも持ってこい!」
「はい!」
団員が駆けていくのを見届けると、バークスはアーヴェルへ向き直った。
「アーヴェル」
「うん!」
「お前はセリーヌさんのところへ行け。怪我人を運び込むことになる。診療所で受け入れの準備をしてもらえ」
「分かった!」
「俺たちは先に行く!」
アーヴェルは頷くと、再び詰所を飛び出した。
◇
「セリーヌさん!」
診療所の扉を開けると、セリーヌがアーヴェルを振り返った。
「あら? アーヴェル、どうしたの?」
「怪我人がいるんだ!」
その言葉に、セリーヌの表情が変わる。
「落ち着いて。何があったの?」
「街道で馬車が倒れてて、人も倒れてた。三人いたと思う。一人は声を出してたけど、ほかの二人は……分からない」
「三人ね」
事情を聞いたセリーヌは、すぐに受け入れの準備を始めた。
「バークスさんには知らせた?」
「うん。もう団員を連れて向かってる」
「分かった。準備しておくわね」
そう言いながら、セリーヌは棚から必要なものを取り出していく。
「じゃあ僕、トーラのところに戻るね!」
「ええ。気をつけてね」
アーヴェルは診療所を飛び出し、事故現場へと引き返した。
◇
アーヴェルが事故現場へ戻ると、すでに何人かの自警団員が集まっていた。横倒しになった馬車のそばでは、バークスが団員たちとともに負傷者の手当てをしている。
「アーヴェル!」
声を上げたのはトーラだった。
「トーラ! 二人は?」
「大丈夫だ」
答えたのはバークスだった。
「気を失ってるだけだ。三人とも命に別状はない」
「よかった……」
アーヴェルはほっと息をついた。
「セリーヌさんには?」
「伝えてきた。診療所で準備してくれてる」
その言葉に、バークスがアーヴェルを見る。
「……もう戻ってきたのか?」
「うん」
バークスは一瞬、訝しげにアーヴェルを見たものの、すぐに負傷者へ視線を戻した。
「アーヴェル!」
聞き慣れた声に振り返ると、街道を駆けてきたのはキーヴァルだった。
「父さん!」
「怪我はないか?」
「うん。僕もトーラも大丈夫」
「そうか」
それだけ確認すると、キーヴァルは横倒しになった馬車へ目を向けた。
「バークス、状況は?」
「三人だ。怪我はしてるが、命に別状はない」
「分かった。何をすればいい?」
「担架が来るまで、こっちを手伝ってくれ」
ほどなくして、街道の向こうから担架を抱えた団員たちが駆けてきた。
「団長! 持ってきました!」
「よし。こっちだ」
バークスの指示を受け、団員たちは負傷者を一人ずつ担架へ乗せていった。三人をそれぞれ乗せた担架が村へ向かって運ばれていくのを、アーヴェルとトーラはその場で見送った。
「……よかったな」
「うん」
張り詰めていたものがようやく解けたのか、トーラが大きく息を吐いた。
負傷者たちが診療所へ運ばれていくのを見届けると、キーヴァルは街道に散らばった荷物へ目を向けた。
「これを全部運ぶなら、荷車がいるな」
バークスも頷いた。
「ああ、そうだな。いったん村に戻るとするか」
四人は散らばった荷物を街道脇へまとめると、村へ向かって歩き始めた。
しばらく歩いたところで、バークスがふとトーラへ目を向ける。
「……そういやトーラ」
「ん?」
「お前、フラッファー狩りを頼んでたはずだが?」
「…………」
トーラの足取りがわずかに鈍った。
「フ、フラッファーならちゃんと狩ったよ」
「本当か? 逃げ足が速いあいつらを、あんな短時間で狩れたのか?」
「ほ、本当だって! ちゃんと狩ったんだよ! ……二匹だけだけど」
「二匹だとぉ!? お前、またサボってたな!」
バークスが拳を振り上げると、トーラは慌ててアーヴェルへ助けを求めた。
「ま、待って待って! 本当に狩ったんだって! なあ、アーヴェル!」
突然話を振られ、アーヴェルは目を瞬いた。
「うん。二匹倒したところで、あの馬車を見つけたんだ」
「ほら! だから言っただろ!」
そのやり取りを見ていたキーヴァルが、笑いながら口を挟んだ。
「おい、バークス。何にせよ……今日はこいつらのお手柄だ」
「…まあ、それもそうだな」
バークスは振り上げた拳を下ろし、それ以上は追及せずに歩き出した。四人で再び村を目指していると、しばらくしてバークスがふと首を傾げる。
「……それはそうと、アーヴェル」
「なに?」
「お前、セリーヌさんに知らせに行ったあと、ずいぶん早く戻ってきたよな?」
「ああ、それ?」
「診療所へ向かってから来たんだろ? それなのに、担架を取りに行った連中より先に戻ってきた」
隣を歩いていたトーラが、にやりと笑った。その顔を見たキーヴァルも、アーヴェルへ視線を移す。
「……何かしたのか?」
「うん、魔法を使ったんだ」
キーヴァルが驚いたように目を見開いた。
「魔法?母さんから教わったのか?」
「違うよ。生活魔法だよ」
「生活魔法を?」
「うん。いつもトーラからフラッファー狩りを手伝えって頼まれるんだ。あいつら逃げ足が速いからさ。生活魔法を応用したんだ。」
隣を歩いていたトーラの顔から、すっと笑みが消えた。
「……いつも?」
バークスの低い声が落ちる。しかしアーヴェルはその意味に気づかないまま、話を続けた。
「それで、後ろから風で身体を押せば、もっと速く走れるんじゃないかと思って」
「ちょ、ちょっと待て、アーヴェル!」
「え? ……あっ」
アーヴェルはようやく気づき、気まずそうにトーラへ目を向けた。
「……トーラ」
再び響いたバークスの低い声に、トーラの肩がびくりと跳ねる。
「お前はぁ……!」
「ち、違うんだ親父! これには事情が――!」
言い終わるより早く、トーラは村へ向かって駆け出した。
「待て、トーラ!」
あっという間に遠ざかっていく背中を見ながら、バークスは大きくため息をついた。
「ったく、あの悪ガキが……」
そう言いながらも、バークスはどこか呆れたように笑っていた。キーヴァルが吹き出し、アーヴェルもつられて笑った。